2015年11月3日火曜日

家に金入れない理由と入れる理由-自立の2つの定義

自立という言葉は様々な意味合いで使われます。
このような言葉の場合、混同されている意味合いを分解して、
一度よく考えてみることが重要なのでしょう。
私の考える自立とは、
持続可能性・生き物として生きていける状態です。
もう一つの自立は、道徳的自立です。
家に金を入れるのが「偉い」という考え方がこれです。


 二つの自立の考え方ー経済的自立と道徳的自立


経済的自立は、持続可能性・生き物として生きていける状態です。
お金をたくさん持つほど、お金を増やす術を鍛えるほど、
少ないお金で生活できるようになるほど、
経済的自立の度合いが増します。
要するに、お金で困らず暮らせるという意味の自立ですね。
働かなくても暮らしていけるから、
自立していられる(≒雇われる必要が無い)。
そういう意味での自立です。
当たり前のことですが、
家に金を入れないという選択が可能な状態であるのに、
家に金を入れると、この意味の自立からは遠ざかります。
単純に自分のお金が減るわけですからね。 
(自由に使える金が減ることで節約法などが身に付けば,
経済的自立に近づくこともありますが、それは副次的な効果であり、家に金を入れなくても実現できるものでしょう)
これと対照的なのが道徳的自立であると考えられます。

道徳的自立は、
自分の生活費を自分で払うことを重視する自立の解釈です。
あるいは、自分の生活費を自分で払わない人間を批判する自立観と言ってもいいかもしれません。
「実家暮らしなのに金を入れないのはけしからん」
という考え方がこれですね。
自力で得るという点を重視するのが特徴です。

経済的自立が、
今後何が出来るかという未来を対象としているのに対して、
道徳的自立が、
自分が今までどうしてきたかという過去を対象としている点も、
対照的ですね。
また、経済的自立が手段であるのに対して、
道徳的自立はそれ自体が目的となっています。
経済的自立は自由を得る手段ですが、
道徳的自立はそれ自体が目的であり、
その「偉さ」のために求められるとも考えられます。

他人は他人なので考えが一致しなくても問題ないと思いますが、
自分に嘘をつくと自分の利益を失うので、
注意する必要があります。
なら何故自分に嘘なんかつくのかという話になりますが、
短期的な心の安定のために、
長期的利益が犠牲にされるということは、
よくある話なのではないでしょうか。
モテない男が酸っぱい葡萄的な発想で女の価値を低く見て、
ますますモテなくなっていく、というような具合にです。

「家に金入れる主義」の人の中には、
自分が必要に迫られて行っているに過ぎない行為を、
道徳的行為として美化する人がいます。
家に金がなければ、必然的に家に金を入れざるを得ません。
比較的裕福な家であれば、必然性はなくなります。
両者の違いは経済的な違いに過ぎないのですが、
そこに道徳的価値を持ち込むと話がややこしくなります。
そして、自分に嘘をついて道徳的自立主義者になった人は、
効率的に経済的利益を得ることが出来なくなります。
何故なら、道徳的価値を重視してしまうからです。
道徳的価値自体をもともと評価しての選択なら結構なことですが、
(それはそれで問題か?)
酸っぱい葡萄的な発想で道徳的価値を重視した人の場合、
道徳的価値に固執することは本人の幸福を損ねるでしょう。
自分が本来得たいと思っている価値とは違うものを得ることに、
自分の力を注ぐことになってしまうからです。


「家に金入れる主義」でも遺産は使いたい人は少しおかしい?


「家に金入れる主義」の人の一貫性を評価するには、
遺産の扱いを考えるのが良さそうです。
親からの経済的利益を受け取らない主義であれば、
当然遺産も自分のためには使わないということになります。
「家に金入れる主義」で遺産にも手を出さないという人は、
一貫した道徳的自立主義者と言えそうです。
それに対して、遺産は使うという考えの人は、
親からの経済的利益を受け入れるわけですから、
家に金を入れる理由は、
道徳的自立のためではないことになります。
必要に迫られてそうしているからか、
みんながそうしている(そうすべきと言っている)からか、
親からの金の要求を拒否することが関係悪化につながるからか。
理由は人によって様々なのでしょうが、
一度、自分がどういう理由でどういう選択をしているのか、
という点を考えてみることには大きな利益があるのでしょう。

幸いなことに私は家に金を入れる必要に迫られていません。
そのため、選択の権利は自分にあります。
私は、自分がやりたいことをやるための手段が、
自力で得たものか、他人の力や幸運のおかげのものか、
といった点にはあまり関心を持っていません。
また、道徳的自立の「偉さ」を追求したいという気もないです。
そのため、自分がやろうと思っていることのためには、
自力で得たもの以外のものでも利用したいと思います。
だから、家に金は入れません。 
そうすることで経済的自立の実現が近づきます。
勿論、必要に迫られれば家に金を入れることになりますが、
皆がそうしているからという理由には、
あまり魅力を感じません。

しかし、自力で得たもの以外は利用しない主義で、
遺産も放棄するという人にはある種の尊敬を覚えますね。
もっとも、そういう考え方を突き詰めていくと、
生まれながらの素質から得られるメリットや、
日本という先進国に生まれたメリットなども 、
放棄しなければならなくなってしまうのでしょう。
それらが自力で得たものではなく、幸運によるものであるのは、
生活費を負担せず暮らせる家庭に生まれたという幸運と、
全く同様だからです。
そういう自立道徳的価値主義の人が、
どういう生き方を選択するのかは興味がありますね。
ロールズの格差原理のように、
偶然によるメリットは、
最も不幸な人を納得させるような形で行使するということで、
途上国でボランティアでもやるんでしょうか。

案外、経済的自立が実現された後には、
道徳的自立を求め始める人が多いのかもしれません。
道徳的自立には、何かしらの美しさがありますからね。
酸っぱい葡萄的な発想での虚構的な道徳的自立主義だけには、
注意する必要がありますが。

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