2015年9月26日土曜日

ブログタイトル変更-リタイアより本質的な目標へ

早期リタイアは最終目標にはならない。
それは以前にも書いたことですが、
連休を通して改めてそのことを実感しました。
従って、早期リタイアを目指すというブログタイトルを変更します。

給料のための仕事から解放されるだけでは満足できない


シルバーウィークは、
私にとっては楽しいものではありませんでした。
やるべきことがあるはずなのに、手につかない。
自分自身がその活動の意義を確信できていないからでしょう。
勿論、ストレスや身体的疲労などの原因もあると思いますが、
十分な動機があれば人は活動を続けることが出来るはずです。

何故、私にはその確信が得られないのか。
結局は、自分が人生を何に捧げるかという問いに対して、
真剣に向き合っていないからかもしれません。
そんなことはどうだっていいという人もいるでしょうが、
私にとってはそうでもないようです。
あるいは、少なくとも今の私にはそう思われます。

ジョブズのスピーチでも、
自分が満足できる仕事を見つける重要性に触れられていました。
あるいは漱石の『私の個人主義』においても、
似たようなことが印象的な語り口で述べられています。 

それはとにかく、私の経験したような煩悶が貴方がたの場合にもしばしば起こるに違いないと私は鑑定しているのですが、どうでしょうか。もしそうだとすると、何かに打ち当たるまで行くという事は、学問をする人、教育を受ける人が、生涯の仕事としても、あるいは十年二十年の仕事としても、必要じゃないでしょうか。ああここにおれの進むべき道があった!ようやく掘り当てた!こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたは始めて心を安んずる事が出来るのでしょう。容易に打ち壊されない自信が、その叫び声とともにむくむくと首を擡げて来るのではありませんか。既にその域に達している方も多数のうちにはあるかも知れませんが、もし途中で霧か靄のために懊悩していられる方があるならば、どんな犠牲を払っても、ああここだという掘り当てるところまで行ったら宜かろうと思うのです。『私の個人主義』講談社学術文庫p.139

掘り当てるまで行くしかないという考えは魅力的です。
もちろん、その過程は楽なものではないでしょう。
しかし、霧や霞の中で苦闘するにしても、
その先に待っているものを意識しながら活動するのと、
そうでない状態とでは大きな差を生むのではないでしょうか。
私が、休暇の時間を有意義に扱えていないのも、
目の前の状態の先に何が待っているのかイメージ出来ていない、
という点が影響を与えていたように思われます。
今の段階では正確には把握できていないかもしれませんが、
試行錯誤すれば、時間が答えを教えてくれるはずです。

そのため、自分自身の意識を改めるためにも、
ブログタイトルを変更することとします。
私にとって、金銭的な独立を意味する早期リタイアは、
一つの手段の候補であって、最終的な目標ではありません。
あるいは、私が本質的に求めているものではありません。
結局、今の私が求めているのは、
私が人生を捧げることに納得できるような活動のようです。

完全に満足できるブログタイトルというのは、
中々考え付くものではありません。
さしあたっては、「コミュ低男の人生記録ー最高の活動を求めて」
というタイトルでやっていこうと思います。
 
 

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