協調性がないとか、コミュニケーション能力が低いという言葉は、
具体的なイメージを生まない曖昧なものです。
この記事においては、
具体的にどういう生活を送っていたか書いてみたいと思います。
自分の過去について振り返るというのも悪くないことでしょう。
私の記憶では幼稚園の途中辺りまでは、
ある程度社交的だったような印象があります。
ところが、なんらかの事情によって、
幼稚園の途中辺りから、
人付き合いを嫌う人間になっていたようです。
その原因が何だったのかという点は明確には分かりません。
小学校時代は3、4人の友人とは仲が良かったですが、
それ以外の人々には閉鎖的な態度をとっていました。
小学生という段階であれば、個性の細分化が進んでいないため、
浅く広い交友関係を築きやすい傾向があるはずです。
しかし、私の場合はそうはならなかったんですね。
今から考えるともっともらしい理由も思い浮かびます。
一つの候補としては、運動能力の低さが挙げられます。
子供社会においては、
体を動かす活動が中心的になるものです。
そのため、運動神経に劣る子供は、
社会に加わることに抵抗を感じがちなのかもしれません。
しかし、よく考えてみると、
運動神経が悪くても社交的な子供という例も存在していました。
すると、運動能力の低さ以外の要素が探す必要がありそうです。
すぐに思い浮かぶ要素が一つあります。
それはプライドの高さ、あるいは見栄を張る程度です。
自分の弱い姿を見せることを苦痛に思う人間は、
社交性を失いがちです。
それは、自分の弱さを見せなければならない場面において、
人付き合いを避けるようになるからであると考えられます。
子供時代の私は、ゲームや読書などを好んだものです。
ゲームはいつの間にかやらなくなりましたが、
読書のほうは今も続いています。
私は考えながら記事を書いていくタイプなのですが、
(書き終わる頃にタイトルを変更することも少なくない)
図らずも今回の記事においては、
行き当たりばったりの思考が核心的な側面に達したようです。
高校の教科書に出てきた、
中島敦の『山月記』が思い出されますね。
『山月記』の主人公である李徴は、地元では鬼才と呼ばれるほど才気のある人間です。
彼は詩人を目指しているのですが、自分の才能が本物ではないことが露呈することを恐れて、仲間と切磋琢磨することを避けます。
単純に言ってしまえば、プライドが高いのでしょう。
しかし、そのプライドの高さには、自分の才能に対する不安が伴ってるわけです。
だから「臆病な自尊心」ということになるんですね。
「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」という言葉は、
非常に巧みな表現であるように思われます。
あの作品で語られた、臆病な自尊心と尊大な羞恥心という概念は、私の精神にも多分に含まれているようです。
もっとも、そのような傾向というのは多かれ少なかれ、
万人に共有されているものかもしれませんが。
私はその中でも多いほうに分類されるのでしょう。
もっとも、李徴のように鬼才扱いされることはありませんでしたが。
臆病な自尊心を抱えると、
苦手分野の欠点がより深刻化されていくように思われます。
不得意なことであってもやれば多少は改善されていくものですが、
やらなければますます他人との差が開いていくからです。
一種の悪循環ですね。
そのような悪循環の結果として、
コミュニケーション能力と身体能力に問題を抱える、
私のような人間が出来上がったわけです。
ややこしい分析などしなくとも、
単純かつ明白な対処法が思い浮かびます。
それは、恥を忍んで低いレベルから鍛えていき、
やがてはある程度の熟達を狙うというものです。
小さな成功体験を重ねることが自信につながるのでしょう。
成功体験の積み重ねは、好循環につながります。
まぁ、言うは易しというやつですね。
問題は実際に行動に移すということです。
行動の重要性を指摘するこの言い回しも、
何度書いたか分からないぐらい使っている気がします。
どうも私という人間は、
同じような結論の思考をわざわざ繰り返しているようですね。
しかし、行動を全くしていないというわけではないのです。
中学時代は、幽霊部員で数少ない友人と、
相変わらずゲームや読書に勤しんでいましたが、
高校時代には部活動に参加しました。
ある程度体育会系っぽい雰囲気のある部活動です。
高校生なりに、
自分を改善させていく必要性を感じていたのでしょう。
今まで、集団行動的な活動を避けていた私にとっては、
部活動の人間関係はかなりの苦痛を生むものでした。
慣れない環境に長時間置かれることになったわけですから、
ある意味当然のことと言えるかもしれません。
部活動終了後に先輩と帰り道で会った際に、
こういう時どういう言葉をかけるものなのかと尋ねた記憶が、
妙に鮮烈に残っています。
夕方の線路沿いの道でのことでした。
しかし、時が経過していくとともに、
下手なりに人付き合いがマシになっていき、
参加してみて良かったと思うようにもなりました。
友人は相変わらずかなり限られていましたし、
普通の人と比べると低いレベルなのですが、
過去の自分と比べたときの成長は、
細やかな自信を与えるものでした。
こう書くと、
その後の人生がうまく行きそうに見えるのですが(見えないか)、
結局その後も臆病な自尊心を抱えていくことになります。
思ったより長くなったので、ここで一区切りとします。
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