2015年3月27日金曜日

BloggerでCSSを追加してh2タグのデザインを変更してみました

CSSに追加したのは以下の内容です。

h2{
font-size:medium;
margin: 0;
padding: 0;
border-bottom:1px solid #715c1f;
border-left:10px solid #715c1f;
padding:7px;"
}

2015年3月25日水曜日

大学の卒業式を終えて思うこと―大学生活の反省点とその原因

卒業式のような場では、
世俗的利益などから離れた、
何やら崇高な理念のようなものが語られるものです。
私は、たまにはそういう話を聞くのも悪くないと思います。
日常と異なる意識・感覚というものは、
生活にメリハリを与えてくれそうです。
男の場合はスーツで済ませるのであまり特別感もありませんが、
振り袖姿の女学生などは、
いかにも特別な場という印象を与えてくれます。

2015年3月23日月曜日

やたらカテゴリの多いにほんブログ村に登録しました

色々なブログを見ていると、よく見かける名前ですが、
私も登録してみることにしました。
それにしても、カテゴリ分けが非常に細かいですね。
しかも、
それぞれのカテゴリ内に膨大な数のブログが存在するようです。
このブログが20代サラリーマンなのか、20代の生き方なのか、
貯金なのか、それとも投資系のカテゴリに入っていくのか。
そんなことはよく分かりませんが、
慣れていくうちに様々なことが分かるのでしょう。
ping送信の出来ないbloggerでも、
参加できるようになっているようです。




にほんブログ村 ライフスタイルブログへにほんブログ村

2015年3月19日木曜日

日記・雑記系ブログの役割・価値とは何か

大雑把に括れば、
このブログも日記・雑記系に含まれるのでしょう。
専門的な情報を集めたものでもないですから。
そこで、日記・雑記系ブログの価値とは何かということを、
一度考えておこうと思います。

2015年3月15日日曜日

いつの間にか進む視力の悪化に抵抗する

健康診断の際に視力の検査をしたら、
左目の視力がかなり落ちていました。
普段は両目を使うので、
片目の能力がどの程度かという実感はあまりないですね。
視力が悪化すれば、
本を読むにも苦労することになるわけですから、
今後の人生のことを考えたら、
しかるべき対策をしておいたほうが良さそうです。

調べてみたところ、様々な目のトレーニング法がありました。
本当に効果があるのか怪しい気もしますが、
単純に目を色々な距離のピントに合わせることで、
鍛えると言う発想はそこそこの説得力があるように思えます。
そこで、片目ずつピントを調整する訓練を最近始めました。
プラシーボ効果かもしれませんが、
なんとなく良くなったような気もします。
何でもそうですが、続けることが大事なのでしょう。
一日に数回のトレーニングで視力が維持できるのなら、
それに越したことはありませんね。

ついでにパソコンのモニターも少し暗くし、
色温度を下げておきました。

2015年3月9日月曜日

コミュ力が低いと就活で困ること

就職活動ではコミュニケーション能力が重視されます。
そのことは、組織の中で働くことになるのだから当然とも言えます。
コミュニケーション能力が低い人は普通の人よりも苦労しやすいです。
とりわけ、コミュ力が低いことから、
人との交わりを避けてきた人は苦労します。
チームとして何かを成し遂げた経験など、
集団で何かをした経験を求められることが多いからです。
そして、採用された後にもそのような能力を求められることになります。
私は、人とあまり関わらない生活を続けていたので、
就活では大苦戦しました。
たまたま、相性の良い人事に救われたから良かったものの、
客観的に考えると愚かな行動を取ってきたように思われます。
学生はもっと就職ということを真剣に考えてもいいと思います。
少なくとも私はあまりに就職を軽視していたようです。
あるいは恐れていながらも、適切な準備を怠っていたというべきでしょうか。
コミュニケーション能力は就活に限らず、
様々な場面で使うことになるため、
自分のコミュ力が低いと自覚している人は、
ある程度鍛えておくべきかもしれません。
私はそう考えていますし、そうするつもりです。

コミュ力の低い人が就活前にやっておくべきこと


恐らく、この記事にたどり着く人はまずいないでしょうが、
私はあまり準備せずに就活で苦労したので、
やっておくと役に立ちそうであると思われることは示しておきたいと思います。

1 コミュ力が低いからこそあえて人と関わること

コミュ力が低いと人付き合いを避けたくなると思いますが、
その後の人生のことを考えればある程度鍛えるほうが得でしょう。
アルバイトなど事務的なやりとりの発生する付き合いが、
比較的入っていきやすいと思います。

2 何かしら一目置かせるような要素を用意しておくこと

これはコミュ力の低い人のみに関わるものではないと思いますが、
相手に一目置かせるような要素は必要でしょう。
その中身は人によるのでしょうが、
思わぬことが評価されることもあります。
あまり人と被らない強みがあると役に立つでしょう。

コミュ力の低い人が就活でやるといいこと  


1 業界を過度に絞らず、相性の良い人事と会う機会を増やすこと

業界を絞ったほうがいいという意見もありますが、
私はあまり絞らなくていいと考えています。
自分が強く志望する業界でも、
採用する側が自分を望むとは限りません。
業界によって採用基準も異なると考えれば、
多くの業界を受けて多くの側面からの評価を受けたほうが
チャンスがあると思います。

2 選考や説明会などでは積極的に話しかけてみること

二度と会う機会のなさそうな他人というのは、
案外話しやすいものです。
相手も就活の場では露骨に拒否するような態度はとりにくいでしょう。
普段人と接する機会が少ない人は、
積極的に会話してある程度慣れておいたほうがいいと思います。


あくまでも私個人の意見ですが、
何かしらの参考にしてくれたらいいと思っています。


2015年3月3日火曜日

暫定的な人生計画―早期リタイアを目指す

人生の計画などというものは、仮に立てたとしても、
当初の計画通りに進めていくことは難しいでしょう。
また、考えが変わるということもおおいにありそうなことです。
しかし、なんとなく生きていくということを避けるためには、
何かしらの指針があったほうが良さそうです。

私は、組織の一員として働くことに嫌悪感を持っています。
もっとも、働くのが好きな人間などそれほどいないのでしょうが。
しかし、コミュニケーション能力の低い人間は、
組織で働く上での苦痛もより増しそうなものです。
少なくとも私はそう考えています。
そのため、仕事をしなければならない期間を減らそうと思います。
節約や投資、副業のスキルが求められることになりそうです。
さしあたっては、それらのスキルを高めたいと思います。

問題は、結婚や子供という点ですね。
子供を育てることになれば当然必要な資金は大きく増加します。
私はコミュニケーション能力は低いですが、
結婚や子供というものの価値を、
過度に低く見ようとは思いません。
子供や配偶者というものは、
凡庸な人間にも簡単に生きがいを与えてくれそうです。
もっとも、私には理解できていない点も多いのでしょうが。

客観的に見て、私は結婚しようと思うとしても、
人並みより多くの苦労をすることになりそうです。
しかし、最初からその選択肢を捨てることはせず、
選択肢の一つとして結婚を残せるように、
結婚に必要となるであろう能力も、
ある程度計画的に鍛えていこうと思います。

思ったり考えるだけなら簡単なのですが、
実行は難しそうです。
しかし書けばある程度は実行しやすくなるのでしょう。
有耶無耶にして誤魔化すということが出来なくなりますからね。
10年後の私がこの文章を見たらどういう感想を持つのか、
全く想像もつきませんが。
10年どころか1年後には既に気が変わってるかもしれません。
気が変わっても、過去の自分を分析する資料としてぐらいは、
役に立ちそうなものです。

2015年3月1日日曜日

気概について―プラトンの魂の三区分

プラトンは『国家』において魂を三つの部分に分けました。
欲望、理性、気概です。
気概は、悪しき教育によってだめにされないかぎりは、
理知的部分の見方であるとされています。

しかし、自分の心の中で、
気概を悪しき教育から守ることは簡単ではないと思います。
欲望に従って、
理性の命じることと異なる選択をしてしまう経験は、
誰にでもあるのではないでしょうか。
長期的な利益を守るためには、
気概を理性の味方としなければなりません。

とりわけ、コミュニケーション能力の低い人の場合、
周囲の人との接触が少ない分、
自分で自分を律する能力がより高く求められると言えそうです。
そこで必要になるのが気概であると考えられます。
もっとも、理性の指示が正しいという前提があるのですが。

実際のところ、
複雑な判断が必要な場面はそれほどないのではないでしょうか。
あるいは、仮に高度な理性的能力が必要であるとしても、
必要だからといって急に理性を高めることは出来ません。
そのため、気概のほうを鍛えることが有効であると考えられます。

気概を鍛えるということも簡単ではないでしょうが、
理性の指示通りの行動をしてみることで、
利益が確保されたという経験を積み重ねることが出来れば、
自然と気概も鍛えられていくのではないでしょうか。
少なくとも、私はそう考えています。